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あんこの会

あんこがはみ出るくらい日々奮闘中のセラピストたちのブログ。 ぜひご一読を!

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認知運動療法東北合同研修会(2)

認知運動療法東北合同研修会に参加してきました.


遅くなりましたが、
腰ヒカリの中で振り返ってみての報告をします.

「常識は変わっていくもの」
講義の初めに先生が言ったこと.
そうだよなぁ,と思いつつ,日々の臨床でついつい蔑ろにしてしまうこと.
今回の講義はこれが大前提として進められる.

初日は用語の説明から始まった.確かに用語は難しいけれど,前回いわきでの講演を聞いていたからか,予習した分,すっと内容が入ってきた.
用語自体は聞きなれないけど,その言葉の意味合いはしっくりくるもの.どれも患者さんへの介入を考えるときに必要なこと.そして自分がまだしっかり考えられていないところ.

2日目:痛みとは

「情動体験(心の変化や経験)が大きく影響する.」
さまざまな文献から,痛みに関与するものは感覚の不一致,ストレス,社会的疎外感,身体図式の変化など様々だと.
・・・肩こり・腰痛が圧倒的に女性に多いのは,女性の心の感受性が豊かだからかなぁ?…
脳卒中の患者さんでも肩や腰の痛みを訴える方は多い.
…はたして,自分は患者さんの痛みにしっかり向き合っていたのか…

このままじゃいけない,と思いつつ何もアクションせずに日々が過ぎて行っている今.
勉強会に出ることの1番の利点は,どうしたらもっといいことができるかと,熱い思いを持っている方々に出会えること.その方の話を直に聞けること.荻野先生もおっしゃっていたけど,懇親会こそ大事.勉強会以上のことを聞けるときだってあるし,勉強会より質問しやすい.荻野先生の人柄も大きいと思うが,参加されていた先生方,みなさんアットホームで居心地のよい雰囲気でした.(shizukaさんが珍しく泥酔できるほど 笑)

「もっと勉強しなきゃ.」
でも,無理に,では続かない.岩手の先生が言っていたように「楽しみながら日々の知識を高めて」いけるなら最高だな.そのために,定期的にあるあんこの勉強会って大事.
自分だけでは絶対続かないですから.

あんこ

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かんがえちゅう

作業療法士と理学療法士、
どんな違いがあるか、特色は?

今回チームでそんな話があった
それをまとめた後輩は

急性期において、OTとPTはあまり違いはないんじゃないですか?

と。

本当に?
本当にそうなのだろうか?

勿論、理学療法士、作業療法士という括りにこだわって、するべきアプローチをしないのは問題ではある。
オーバーラップする分野も多いだろう。

しかし、それぞれの根幹、コンセプトは違うのだから、強みは違ってくる。
それは、アプローチ内容だけからは判断できないと思われる。
思考過程の違いではないだろうかと僕は考える。

そんなこと言っても上記の内容は抽象的である。

あるPTの方から
歩行はPTのほうが得意だからこっちでやります。ADLもPTでできるけどOTさんでお願いします。

と言われたときになんとなくガツンとやられた気がした。
じゃあ、OTは何ができるんだ?と。

歩行やADLがPTでできるなら
作業活動は?介護福祉士でもできる。
意味のある作業は言葉だけがうわ滑りしやすい。早期から導入したとしても意識障害や失語症の程度によっては困難だ。

僕はその時、じゃあ、ADLやIADLの細かい所を見ておきます、としか答えられなかった。


基本動作や機能訓練はPTの方が得意だろう。急性期でまず、必要とされる部分についてだ。
それならば、PTだけで十分だ。
PTとOTが一つの職業として統合されるだろう。

しかし、そうはならなかった。
何故か?

何故、急性期にOTが必要か?
その専門性は何か?何ができるのか?

2013/6/10 現在。
まだ自分なりの答えはでていません。

けれども、その1つの答えがこの講演を聞いて、少しだけわかったかもしれません。

http://ankonokai.ni-3.net/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E5%BF%83%E3%81%8C%E5%8B%95%E3%81%91%E3%81%B0%E4%BD%93%E3%81%8C%E5%8B%95%E3%81%8F%EF%BC%81

この記事は今後も追記します。
悩んでみます。


あんこ(エキセントリック)

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向いているかどうか、なんて...


実習の時に言われた。

君には急性期は向かないね。
変化に弱そうだから、
と。

で、
なんの因果か急性期病棟の担当になって早2年。
慣れたのかなんなのかよくわからないけどなんとか今も働いている。


また、発達障害領域の実習でも
君には向かないね。
子どもの変化に追いつけないから、
と。

そんな僕が、春から小児外来も受け持つことになった。



思えば、君に向いている、
なんて言葉は学生の時から聞いたことがなかった。

そもそも、人付き合いが大層苦手な僕が、
人と直接関わるリハビリのような仕事につくことは両親にとっても驚きだった様子で。



そんなわけで、常に苦手なことをしている僕ですが、仕事は充実しています。
楽しいか聞かれるとわかりませんし、大変ではありますが。


仕事に向いてるか?向いてないか?
なんて大したことではないと思う。

それ以上に、周囲の環境、特にどんな人がいるか?そこが大切なのでは?
自分を受け入れて、フォローしてもらえる環境だからこそ、今僕は生きていけるのかな、と。


そのうえで
今、自分がやりたいことはなんだろう?
何ができるのだろう?
と考え続ける。

暗中模索ではあるけど、前へ進もうともがいてみる。



得意としている誰かには適わないかもしれない。

けれど、
もがいたその先に、苦手だからこそ到達できる何かがあるかもしれない。


そんなことを考えながら
向いていないとしても
苦手だとしても
不器用なりに
僕は前に進む




あんこ

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認知運動療法東北合同研修会(1)

3月23日、24日
認知運動療法。大好きな東海の方々が学んでいて、またbridgeで興味を持ったことがきっかけで、仙台へ向かいました。

12時過ぎに仙台駅へ到着。
牛タンを食べて。
開始時間までヨドバシカメラに滞在し。
開催場所へ。


今回の講師は国府病院PT 荻野敏先生。

先生は本題に入る前に、リハに対する熱い想いを語った。

アリスの物語を例えに
セラピストは、その場にとどまるためには全力で走り続けなければいけないこと、先に進みたければ2倍の速さで走らなければいけないことを話された

自ら学んでいますか?


そして、
常識は時代によって変わるもの。今までの知識だけでは太刀打ちできない。
常識を疑ってかかれ。


以下はshizukaの理解に合わせた記載です。間違っていたらご指導くださいませ。

本題。
初日は、
「認知神経リハビリテーションの難解用語」


認知運動療法。
先生は「これだ!」と思っているが、CLや他のセラピストに押しつけることではない。
CLに望まないものを提供して押し問答になっても仕方ない。
CLの目的に応じた対応をすればいい。

 マッサージをしてほしい⇒マッサージを提供
 ROMをしてほしい   ⇒ROMを提供
 治りたい!!     ⇒認知運動療法の視点で関わる

治療を目的に来るCLには、認知運動療法を進める。


では、認知運動療法とは?
 身体イメージの再学習が必要な方すべてを対象に、再学習を進めるという概念。
 自己身体図式(イメージ)により、行為は変わる。そもそも運動は身体イメージと外界情報のすり合わせ。正しい外界情報を得ても、正しい身体イメージが認識できていなければ使える情報にはならない。
 =自己身体への正しい認識を促す
(何も感じないのであれば何も感じていないことをCL にわかってもらう)。


1.機能環とは(生物学由来)
 動きと感覚は表裏一体であり、同時進行で行われる。しかし目に見えるのは動きとそのときの対象物。違った言い方をすれば、行為と環境のみ。
 でも、その背景には人と対象との相互作用(対象が「何か」によって、また対象に接する「人」によって変わる)、情報、中枢神経系が関わる。
 「見えない部分で何が起きているか?」を常に考える。

この中で出てくる「情報」とは
 ⇒差異によって作られる、差異
 ⇒物理的な差異は、認知的な差異へ変換される。
 しかし、物理的な差異を変換できなければそれは「同じ」と認識される。
 つまり、そこに確かに「違い」が存在しても「違っている」と認識できなければ「情報」とは呼ばない。

ミラーニューロンシステムとは
⇒他者の行為を観察しているだけで、あたかも自分が実行しているかのような神経活動を生み出すニューロンのこと。この機能は、他者理解、共感、模倣の基盤と考えられる。

カノニカルニューロンシステムとは
⇒対象物を操作しなくても観察しただけで対象の持つ意味を理解し、運動企画を形成するといった大脳皮質機能のこと。
 視覚による情報を手掛かりとした認知に応じた運動を選んで作りだすシステムのこと。  


2.創発特性とは哲学由来)
 部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が全体で表れること。全ての因子を加算していくことで説明できる合成特性ではなく、因子間の相互関係で成り立つこと。複数の要素の関係の中から生まれてくる特性のこと。
 全ての行為は創発特性を有する。


3.道具とは(心理学由来)
 存在するものでなくても使えるもの、媒介にできるものはすべて「道具」という概念で扱う。世間一般の方々が共有している考え方や法則も「道具」。例えば、図形。「三角形のイメージ」は誰しもおおむね共通している。3つの点と3つの直線で囲まれた図形。こういった共有できるものはすべて「道具」と呼ぶ。
 道具の使い方は無限。その環境設定も無限。使い方は自由。


4.最近接領域とは(教育学由来)
 何かを知りえる手段。それは触れる(運動)、見る(視覚)、聞く(言語)。依存しやすいのは、運動の必要がない視覚情報。
 この各感覚から、その方にとってわかりやすい感覚、発展させやすい感覚を探る(失行+失語のケースでは、まず視覚を利用するなど)
 つまり、セラピストはCLが最も覚えやすい、理解しやすい感覚を使って治療にあたる。
 
 また、そのとき与える水準は、最近接領域である必要がある。最近接領域とは、CLの現在の水準と現在は介助が必要だが近いうちに自力で可能になると思われる水準とのずれのこと。
 「できそうだ!」という水準を見極めて治療を行う。
  よく言われる課題の段階づけを指しているんだろうね。


5.科学とは(全ての学問)
 反証可能性を持つもの。
 =間違う(反証、訂正可能)可能性はあるが、それを証明する方法があるもの。科学にとって重要なのは確かなものではなく、仮説が裏切られることから最大で最良のものを学ぶ。
  占いは正しさの判別ができないため、科学ではない。 


 
二日目は肩こりの治療と症例紹介の二本立て。

「肩こり」
まずは痛みの定義を確認
 =実質的、あるいは潜在的な組織損傷に結びつく、あるいはそのような損傷を表す言葉を使って表現される不快な感覚・情動体験
 ⇒痛みに伴う心の変化が重要視されている!同じ痛みを与えられても感じ方は多種多様だもんね。そこを重視してくれるって、痛みの定義を考えた方々はOT?(笑)同じ経験をしてもその経験が大事なんじゃなくて、そこに存在するCLの想いを大事にしたい。

そして、肩こりとは
=後頸部から肩、肩甲部にかけての筋肉の緊張感や疲労感が混ざり合った一種の不快感、違和感、鈍痛
⇒筋の同定はされていない

一般的な肩こりは、脊柱の生理的彎曲(加齢に伴い、胸椎後彎が増強し、頸椎前彎が増強、慢性的な頭部前方位姿勢を維持することになる)が崩れることで過度に負担のかかる筋(肩甲挙筋の治療が重要なケースが多い)が出てくる。

認知運動療法で肩こりを治療するには?
 冒頭に記載したように、CLに感じてもらう自分の体がどの程度外部情報を認識できる体なのかを。
 研修では、5段階の硬さの異なるスポンジを用いてデモを実施。問題となる部位に注意を向ける体験をしてもらう。目標は硬さの判別ができるようになることではなくて、自分がどれだけ認識できているのかを把握してもらうこと。わかろう、とすることで注意が向く。

 
そして「痛み」を訴えるCL。しかし機能には何ら問題のない場合・・・?
「痛み」に対する最新の知見を紹介。ここからshizukaは最高に面白かった!!!

 ・視覚と体性感覚の不一致が起きると異常感覚(痛み、温度や重みの変化など)が出現
⇒目で対象を確認した後、実際に触れたときにその差があると異常感覚につながる!それほど視覚情報から想像している部分(視覚情報に頼る部分)が大きいってことかな?
 ・社会的疎外感を感じたとき、脳内では身体的な痛みを感じる部位と同じ前帯状回が反応する
⇒心と体は連動している!!!
 ・注射の画像を見て自分が受けていると想像するよう指示したところ、実際に身体的な痛みを感じる部位と同じ部位が反応
⇒脳の想像力ってすごいね!
 ・余暇活動、家族関係、気晴らしに対する満足度が低いと肩こりにつながりやすい
⇒肩こりにも精神的な部分が大きい!!
 ・脳は、必要以上に痛みを感じない仕組みを持っているが、ストレスにより側坐核の働きが悪くなったとき、分泌されるはずのμオピオイド(脳内麻薬物質)が分泌しなくなり、痛みをおさえることができない
⇒ストレスを感じると痛みを我慢しにくくなるのか!

身体機能のみでなく、そのCL全体を見て評価する必要性
 そして、CLの感じていることに近づく努力を!!



症例紹介
青森、岩手、宮城から各々症例を持ち寄り、3症例について検討。
みなさんの認知運動療法への想いは伝わってきた。
けど、やっぱりいろんな考え方のいいとこどりがイイ気がするよね。


ここでもbridgeに続き、若いセラピストたちの熱さを目の当たりにして刺激たっぷり。
懇親会もめっちゃ楽しかった!!!
やっぱり狭い場所でやっていちゃダメですね(^^)




あんこ


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僕の根っこ

考えはまとまりませんが、
まずはアウトプットすることが大事とのことなので書いてみます。



常に考えること。

自分の訓練内容は合っているのか?
本当に効果はあるのか?

特に、一年目、二年目の時に考えた。
自分に、自分のアプローチに自信がないから。

これは、と言える手技。言い方を変えると必殺技があるといいな、と。


でも、
本当に大切なのは考え方。根っこの部分。

他人から聞いて、わかった気になるのは『解った』ことにはならない。
体験して、実感を伴って、気づくことができなければ『解った』ことにならない。
...ならないのだが、
なかなか気づくまでの道のりは長い。

その人らしい人生を再獲得する為には?という問いが僕の根っこ。

根っこがしっかりしていれば、あとは手技が対象者に合っていればなんだって良い気がする。(それを見つけるのが難しいのだけど)

逆にこれが1番いい、という手技があればそれに固執してしまい、本当にその人に合っているのか考える機会がなくなる危険性がある。

それは停滞。
そこで思考を止めてしまうことになる。
あくまで手段は手段、ツールはツール。


常に正解のない中で、試行錯誤することが大切なのではないのだろうか?


その人の生活や幸せはなにか、を考える。
所詮他人の僕には全てを知る事はできない。
だからこそ一生、半人前かもしれないが考え続ける。

その人らしい人生を再獲得するためには?、を


あんこ

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